ぼくの統合失調症の方の対応

その人のために そして自分のために

離脱時間 no.3

ぼくの統合失調症の対応

ぼくが体験した「統合失調症の方の対応」のことを書こうと思う。

きわめて個人的な考えとして読んでもらえるとありがたい。

 

ぼくの統合失調症との関わり方は特殊かもしれない。

医師でもないし、臨床心理士の資格をもっているわけでもない。ぼくが当事者でもないし家族内にいるわけでもない。

ぼくのまわりには、昔からなぜか統合失調症の人が多く、どう対応すればよかったのだろうかと思っていた。それが遠因だったと思う。

 

統合失調症の方のケアをすることになった経緯はというと、吉福伸逸さんのワークショップ、通称「吉福ワーク」に参加したことがきっかけだった。そこで後にアシスタントをやるようになり、吉福さんから統合失調症の方の対応のしかたを学び、 そのころから要請があれば出向いて対応するようになっていた。

 

対応するといっても、ぼくが対応する方というのは、ぼくの直接の知り合いか、そのご家族などに限られていた。

なぜかというと、連絡をくれる方というのは、ぼくが吉福さんのやり方で統合失調症の対応をしていることをあらかじめ知っていて、そのやり方に理解をしめしている人しか、ぼくは対応できないからだ。

 

統合失調症といってもその表れ方はいろいろある。大きく分けると激しい言動や感情が表れる場合と、そうでない場合とがある。

ぼくに連絡してくるのは、この激しい言動や感情が表れている状態のほうだ。 すでにご家族が対応に困っているか、対応に疲れきってしまっている。

 

こうした統合失調症の状態は、はたから見れば支離滅裂で、幻覚や幻聴があったり思考に脈絡がなかったり、また大声を出したり、ときには暴力的になったりする。話の内容もさまざまで、宇宙を変える理論を持っている人もいたし、宇宙人とコンタクトしている人もいた。「わたしは神だ」という人もいた。だいたい荒唐無稽なことが多いと思う。

 

連絡がくるタイミングというのはだいたい精神科の病院へいく前になる。こうした状態のまま病院へいくと、一時的かもしれないが閉鎖病棟の隔離室へ入れられ、投薬によって沈静化させるという処置をほどこされる可能性が高い。ご家族や関係者は自分たちではもう手に負えないが、それでも、できればその前になんとかならないものかと願っている。

なのでぼくとしては、連絡をいただいたときには時間の許すかぎり対応させてもらっていた。

 

どうするかというと、すぐにその方の家かその方がいるところへ出向き、ある程度落ち着くまで一緒にいる。期間はだいたい3日から5日ほどだ。この状態の方というのは睡眠をとらない。ほぼトイレにもいかないし、お風呂やシャワーにも入らないことが多い。この滞在期間中、ぼくはずっと一緒にいるので、こちらも体力的にはかなりきつくなる。

 

 

吉福さんはどう考えているのだろうか

吉福さんは、統合失調症の方への対応といっても、特別なことではなく、普通の人と変わらないと思っていいという。かれらの表現の仕方がちょっと普通より激しいだけ。

たとえ怒りの感情がでていたとしても、感情が表現されていること自体はいいことであり、歓迎すべきこと。せっかく出てきてるのでそれを沈静化させようとしない。

かれらに起こっているプロセスが完遂すれば、いずれ必ず落ち着くところに落ち着く。なのでプロセスをこちらが信じていることが肝心で、必ず治癒すると信じていること。

こちら側の、何があっても大丈夫という揺ぎのなさが、体全体、態度、姿勢などから滲みでているような気配、雰囲気が大切となる。(これらをすべて含めて、吉福さんはコンテクストといっている)

 

といっても、ぼくは悟りのような境地にいるわけでもなんでもないので、まったく揺るがないなんてことはできない。自己防衛的な態度を取ってしまうこともある。なので少なくとも、揺れているときには揺れていることをちゃんと自覚していようと心がけている。

 

 

そうした現場で実際にぼくは何をしているのか

まず相手の話しはしっかり聴く。うんうんと聞いていると、不謹慎に思われるかもしれないが、彼らの話す内容はかなりおもしろい。

ここで大事なのが、話はしっかり聴くけれど、その内容に囚われないようにすることだ。どんな話だとしても内容に過剰反応はしない。こちらが話の内容に引っかかるのは、こちらの何かが反応している。それに気づいていることだと思う。

 

そして可能なかぎり動いてもらう。動いて体力を消耗してもらう。 部屋の中だとしてもできるだけ一緒に動き回る。もちろん最初から部屋をうろうろしていることもあるが、とにかく体を使ってもらう。

 

人によっては暴力的になることもある。この対応にはちょっとしたコツがあって、吉福さんは「拮抗する力」といっているが、相手と同じだけの力をこちらも出して受け止める。押さえ込んでしまおうとせず力を出し続けさせてあげると、一時的には激しくなるけれどもさほど長くは続かない。ようするに話も動きも、どちらも本気で全身で受け止めてあげるのだ。

 

やっているうちにどう対応したらいいかわからなくなったことがある。そのときにはその方の家からハワイの吉福さんに電話して相談した。吉福さんの話はつねに適確だった。

 

 

こうして数日一緒にいると、ふと一瞬、普通のコミュニケーションが取れるときがくる。ぼくには「窓が開いた」という感覚がある。いったん窓が開くと後は早い。急速に落ち着いてくるし、自分を見つめる目がそこそこできているようにみえる。そうなったらあとは頃合をみて、当事者とご家族や関係者の方をまじえて今後のことについて相談する。こうして数日間の異世界への旅のような時間が終わり、ぼくは引き上げる。

 

こう書いていると大変なことばかりのようだが、じつはそうでもない。

かれらの状態というのは驚くほど感性が高い。こちらが少しでも自分を守る態度をとるとすぐ見透かされてしまう。だから誤魔化せない。自分と向き合わざるをえない。一緒にいると、なんともいえない充実感がある。けっきょく自分のためになっていると思う。

吉福さんはこう言っていた。100%相手のためにそこに存在していながら、自分のためにそこにいる。矛盾しているが、矛盾の只中に居続けること。

「大変だけど面白いでしょ」

 

 

セラピーに関する現在の活動

ここまで対応について過去形で書いてきたのは、ぼくは今はこうした対応をやっていないからだ。

年齢のせいもあって体力的にきつくなってきた。不眠の睡魔にも耐えられなくなっている。

 

いまは年に一度、「体験的グループセラピー」というワークショップを開催しており、ここで、こうした吉福さんの対応のしかたも含めてお伝えしている。

このワークショップのファシリテーターは「吉福ワーク」でアシスタントをやっていた向後善之さん、ウォン・ウィンツァンさんと3人。

「吉福ワーク」と同じことはできないが、吉福さんが伝えたかったことをぼくたちなりの形で継承できればと続けている。

 

吉福さんのワークとは一体どういうものか、そこにどんな背景があるのだろうか。

これについては3月26日、「パネル討論:吉福ワークの秘密を探る」(日本トランスパーソナル学会主催)というパネルディスカッションがある。パネラーは「吉福伸逸の言葉」の著者の向後善之さん、ウォン・ウィンツァンさん、新倉佳久子さんとぼくの四人。それぞれが感じていることを語り合うスリリングな場となると思う。

「パネル討論:吉福ワークの秘密を探る」》》》

 

向後さんは、ぼくがもっとも信頼しているセラピストだ。かれは長年、統合失調症にも取り組んでおり、TENという活動を主催している。TENの主旨は「多くの精神的疾患と呼ばれる状態を、成長の過程における混乱ととらえることによってサポートするあり方を探求している」というもの。 3ヶ月に1度ミーティングを開いていて、次回は4月9日開催予定。
TEN・日本トランスパーソナル学会共催勉強会 》》》

 

 

 

西ラップランドでの試み

一昨年、とてもうれしい話を知ったので最後に書いておきたい。

それはフィンランドで実践されている「オープンダイアローグ」という療法だ。投薬をほとんど行わず、統合失調症にたいして70~80%の治癒率があるという。

本人、家族、医師、看護師、セラピスト、ケアワーカー、地域などが一緒になり、オープンな形で継続的にサポートしていくかたちだ。このサポート体制のすごいところは、必ずしも医師がトップというヒエラルキーではない、というところだ。

 

ぼくは2015年秋にその報告会があったのでそれに参加した。内容はフィンランドに視察へいった人たちの報告と、ラップランドのケロプダス病院から来日した二人のお話だった。

この西ラップランドで行われている「地域としてクライシス状態の人たちを支えるシステム」というのは、吉福さんが生前に言い続けていたことに近いと感じた。

実際にこのシステムを日本で行うとなるとクリアするべきハードルが多くあるとは思ったが、このような考え方について 日本で公の場で討論されるような時代になったということは、ほんとうに感慨深く、胸が熱くなった。

 

 アウェアネスアート®研究所 主宰  新海正彦