映画「ソング・オブ・ラホール」から
ソング・オブ・ラホール
墓に深紅のバラの花びらが舞い落ちる。
花びらの点描がしだいに墓を紅く染めあげていく。
ぼくはそのシーンの美しさに戦慄した。
パキスタン映画「ソング・オブ・ラホール」のワンシーンだ。
この映画はとてもドキュメンタリーとは思えない、詩情とストーリー性に溢れていた。
舞台は2011年から2015年のパキスタンとニューヨーク。主人公はパキスタン古典音楽の一流の老演奏家たちだ。
かれらは今や世界で活躍するアーティストだが、それには長い冬の時代があった。
というのも1977年、パキスタンではイスラーム原理主義をかかげる新政府が成立し、その圧政により音楽が禁止されてしまう。演奏家は楽器を隠し、他の仕事で生計を立てなければならなかった。
2005年、このままでは本当にパキスタンの伝統音楽が消えてしまうと危惧した一人のプロデューサーは、演奏家たちを集めて音楽スタジオを設立した。しかし30年の月日は残酷だった。パキスタンには、もう古典音楽を味わう聴衆がほとんどいなくなっていたのだ。そこで彼らは世界に目を向け、畑違いのジャズとパキスタン古典音楽とを融合させることを思いつく。映画はここから始まる。
かれらはこう語っている。
「ジャズと我々の古典音楽は構造が似ている」
「自分たちの即興演奏を欧米人はジャズでやっている」
パキスタンの古典音楽とジャズの底流に、深い関係性を見出したのだ。
その融合のさせかたは、ありがちな他のワールドミュージックとは一線を画していた。
サッチャル・ジャズ~世界へ
2011年、かれらはyoutubeでジャズの名曲「テイク・ファイブ」を配信する。
「サッチャル・ジャズ・アンサンブル」の名が世界に初めて知られた瞬間だ。すると彼らの独創的な解釈と圧倒的な演奏技術に世界は驚き、アクセス数は100万ビューを超えた。
そして2013年。突如、世界最高峰のビッグバンド「ジャズ・アット・リンカーンセンター・オーケストラ」から共演のオファーが舞い込む。このニューヨークでのコンサートは大絶賛され、とうとう彼らは世界のひのき舞台へ躍り出た。
こうしてみると、この映画は一見、成功物語のように思われる。しかしこれはリアルタイムで撮影されたドキュメンタリー映画だ。
監督はカラチ生まれの才気ある女性でジャーナリストで、ドキュメンタリー作品を制作している。テロが頻発するパキスタンで、サッチャルたちの勝算のない活動を知り、彼らの上質な古典音楽の演奏記録を残そうと撮り始めた。けっして最初から世界で活躍するまでのサクセスストーリーを追っていたわけではなかったのだ。成功という結末はギフトのようなものだった。
この映画の質の高さは彼女のテーマ選びの確かさもあるが、それ以上に、彼女のサッチャルに向けた真摯な眼差しが映像から伝わってくるからだ。人の心模様をていねいに追ってみたらおのずと、物語が展開していった。まさに「インシャラー(アラーのご意志のままに)」を地でいくような話だ。
すべては関係性にある
さて、文頭で書いたバラと墓のシーンというのは、サッチャルで指揮と編曲を担当しているニジャート・アリーが、成功の報告をしに父の墓を訪れ、祈りとともにバラの花びらをまいているところだった。ニジャートの父はサッチャルの設立に関わり、バンドでは指揮を担当していた。最初に世界に配信されたyoutube動画にはまだ彼が指揮をしている姿が映っているが、残念ながらその後しばらくして亡くなってしまった。
ぼくはそのシーンの美しさに戦慄したと書いた。
深紅のバラは、それだけで十分美しいと思う。たとえば結婚式でまかれる祝福のバラの花はたしかに美しい。しかしそれだけでは戦慄までには至らない。
生命のエロスを想起させる深紅のバラの花びらと、足元に横たわるパキスタン式の墓碑のテクスチャー。花びらの瑞々しい鮮やかさとモノトーンの石。有限性と永遠性。生と死。こうしたコントラストが下地にあって、ぼくはこのシーンに戦慄したのだと思う。
生と死のコントラストだけではない。スクリーンから溢れでる、古典音楽の構築的なパートと即興演奏。パキスタン音楽とジャズの親和性と差異。テロが渦巻くラホールとニューヨークのエンターテイメントの華麗な世界。こうしたさまざまな「関係性」が映画の背景として存在しているからこそ、それらの表象としてのバラの花びらと墓の映像に、ぼくは胸を打たれたのだと思う。
関係性に美を見いだす心
美しさとは、そもそも人が「関係性」のなかに見いだすものだと思う。
ものとものの関係に、ものと人の関係に、あるいは人同士や、人と環境の関係性に。さらにいえば、ものとこころ、こころとこころ。こうした「関係性」に美が見出される。花びらの赤さもグラデーションがあるから美しい。その赤さが置かれているところ、置かれた意味に人は美しさを感受するのだと思う。
この映画は社会性や音楽性、異文化の問題などの側面もありさまざまな味わい方があるだろう。しかし今回、あえて「関係性」のことについてこだわって書いたのは、グレゴリーベイトソンの父娘のことがぼくの脳裏にあったからだ。
「ダブルバインド」で知られている学者グレゴリー・ベイトソンは、亡くなるすこし前、「美と宗教と関係性」について書き表そうとしていた。しかしすでに高齢であり病気の進行が早まったことで、彼が最終的な到達点としていた「美の理論」をまとめ上げることはかなわなかった。
その意志をついだ娘のキャサリン・ベイトソンは、父の死後ベイトソンの考えにこうした方向性があったことを示唆する一冊の本を書き上げた。「天使のおそれ」(吉福伸逸/星野淳訳)という本だ。
ベイトソン父娘とニジャート・アリー親子の「関係性」がぼくの中で重なって、これを書いているのだと思う。
時と時の関係性
ぼくはパキスタンの新政権ができた翌年、このラホールにいた。
街は一見、何事もないように賑わっていたが、楽器店や映画館の入り口は、無残に板で打ち付けられていた。火のこげ跡が残っている店もあった。原理主義的なシャリーア(イスラーム法)によって、すでに音楽や映画などは排斥された後だった。
現在のサッチャルのメンバーには、有名なスーフィー音楽の歌い手、故ヌスラト・ファテー・アリー・ハーンのバンドで演奏していた人もいる。彼のような一流の音楽家たちでさえも、家族を支えるために、ウェイターやリキシャマンをして生活していた。この映画「ソング・オブ・ラホール」を観るまで、ぼくはそこまでの内情だとは知らなかった。「ソング・オブ・ラホール」を観にいこうと誘ってくれた親しい友人に心から感謝している。
ちなみに「サッチャル」はイスラーム神秘主義詩人のサッチャル・サルマストスから名づけられている。サッチャル・ジャズ・アンサンブルは思いの込められたバンド名なのだ。
「サッチャル」「ジャズ」「アンサンブル」。その名には、すでにさまざまな「関係性」が刻まれていると思う。
グレゴリー・ベイトソンについてはまた改めて。
アウェアネスアート®研究所 主宰 新海正彦
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