浮世と浮世離れのインターフェイス

林雄二郎(2011年没)という未来学者が、
「世の中には二つの学問がある。
いますぐ役立つための学問を「浮世系」、
いますぐ役に立たないけれど人類の大きな視点に立てば、
意味のある学問を「浮世離れ系」とする」
という主旨の話しをしていました。
インターフェイスというのは「ある系」と「ある系」をつなくこと。
ぼくはこの「浮世」と「浮世離れ」を
学問の世界からすこし拡げて解釈しています。
そしてそれをつなくことがとてもダイジだと考えています。
浮世でダイジなことは、極論すると「即効性」。
すぐに役立ち、わかりやすさを求める世界です。
その世界では、より早く、より多くという欲求を
より満足させることができる人間が主流とるようにできています。
では浮世離れはどうかというと、「遅効性」です。
すぐには役に立たない、すぐにはわかりにくい世界。
なかなか表には表れない。でもダイジなこと。
浮世が水平方向の拡張とするならば
浮世離れは垂直方向の上昇や深化です。
たとえば浮世離れの思考とは、
文化人類学者のレヴィ=ストロースが
いうところの「野生の思考」などがそうでしょう。
「野生の思考」は、
科学的な因果論の直線的思考に対して円環的思考といわれ、
神話的で、呪術的で、ある意味では神秘的にもみえる世界観です。
もうひとつ、数学者の岡潔が「情緒的知性」といっているものもそうです。
それは現代の科学的思考とはちがった別の論理的思考です。
既存のあり様や構造から離れてみる。別の視点からみてみる。
今までなんとなく自分が信じている世界について、あらためて問い直してみる。
ダブルバインドで知られるグレゴリー・ベイトソンは
「真実というのはひとつの解釈に過ぎない」といいます。
でも、改めて問い直してみるったって、
いったい何のためにそんなことをするのか?
「なんの役に立つのか?」という問いが、当然のように浮かぶ。
その思考そのものを、取り扱おうとしているといってもいいでしょう。
「何かのため」という単一性が問題なのではないか?
「これは役に立ちますか?」とすぐに役立つかどうかを私たちは求めています。
それは当然だと思います。浮世に生きているのですから。
ただ、一度立ち止まって、そうした単一性の考えから自由になる。
それだけではない、世界を多層的に眺めてみる。
自分のいる世界の構造から、一度、大きく離れてみると、
すあらたな創造的世界がみえてくるかもしれない。
イノベーションというのは平たくいうと
「問題を違う角度から眺める」ということだと思います。
【浮世と浮世離れのインターフェイス】は、
多層的な、多元的な視座に立ち、
いつもの思考に刺激を与え続けてていく舞台装置のようなもの。
さあ、
深くて楽しくて、神秘的ですらある世界を一緒に探訪しましょう。
アウェアネスアート研究所 主宰 新海正彦