幾層のレイヤーのなかの自分
半径10m Vol.2
山桜の古木
家の入り口の横には山桜の古木が立っている。
27年前にこの家へ引っ越してきたとき、この木はすでに風格のある姿をしていた。
ゴツゴツした根っこが地表にも出ていて、大きな石をしっかり抱きかかえている。太い幹は根元からすぐに2本にわかれ、1本は上へ伸び、もう一方は少し横に広がっている。何本かの枝が低くたれているおかげで、花や葉を目の高さで見ることができる。
桜は葉脈がはっきりしている。強い陽射しに葉を透かすと、桜の葉脈はその太さ、細さが光の濃淡となって立体的にみえてくる。精妙な緑光のパターンはとても美しい。
桜の葉にある2つのコブ
どの葉の柄にも粟粒大の小さなこぶが一対ついている。これは密腺だ。こぶの先からわずかに透明な液がでていて、なめるとほのかに甘い。
ふつうは密腺というと花の奥にある。密を吸いにきた虫や鳥に花粉がついて、花粉を遠くへ運んでもらう。では花粉もない葉の柄にある密腺には、どんな働きがあるのだろう。
しばらく見ていると、どの密腺の周りにはアリがいる。じつは葉に密腺があるのはアリを引き寄せるためなのだ。よほど魅惑的な甘い香りを漂わせているに違いない。
地表からここまではアリにとってかなりの長旅だろう。でこぼこした幹の樹皮を一山一山のり越え、太い枝から細い枝へ渡り、その先についている葉の柄のコブへとようやくたどり着く。
■ 絶妙な共生関係
しかし残念ながら密は少しずつしか出してくれない。ここまで登ってきておあずけ状態のアリたちはしかたなく葉の周りをうろうろする。
しばらく歩き回っているとそこには蛾の幼虫やその卵、わた虫などがひそんでいる。それらはアリの食べ物だ。
じつは桜は密腺でアリをおびき寄せ、桜にとっての害虫たちを食べてもらっている。かなり高度な共生関係だと思う。
ほかの枝へ目を移すと、くるくると巻かれた葉に目に止まった。アリから難をのがれた葉巻虫だ。丸まった葉の両端もうまい具合に葉を折って塞いである。これならアリも手だしはできない。葉巻虫にとっては安全な揺りかごだ。
いのちの関係性
この時期は深紫に色づいたサクランボが、枝一面になっている。山桜の実は苦くて食べられないが、ヒヨドリにとっては大好物。
種はヒヨドリに運ばれ、裏山のどこかにフンといっしょに落とされ、そのうちのいくつかは新たな芽を吹くかもしれない。
いつも目にしているこの一本の桜の木にも、さまざまな命の営みが幾重にも、そして密接に重なっている。
こうした命の関係性に畏怖の念とともに、いとおしさと感じずにいられない。
天然循環の想い
インド思想やタオイズムにも深い眼差しを向けていた作家のヘルマン・ヘッセは、生涯多くの時間を庭で過ごしていた。かれは庭仕事についてこんなことを手紙に書いている。
「土と植物を相手にする仕事は、瞑想するときと同じように魂を解放し、休養させてくれます」
ぼくの庭仕事はかなりいい加減だ。それでも庭仕事のあいまにこの桜の姿をながめ、この古木に触れる時間が好きだ。
この桜をみていると、自分も天然循環のなかの、あるレイヤーの一部に過ぎないと思える。
家は海岸沿いにあり、台風が直撃で何度か枝が折れてしまうことがあったが、この桜の木にはずっと手を入れいれないできている。桜はそのままの姿がいい。
アウェアネスアート®研究所 主宰 新海正彦
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