自分を虚しくすること~吉福ワークにて

直感的インプロヴィゼーション

Silent Passion 03

インプロヴィゼーション

インプロヴィゼーションの真髄をニューデリーのコンサートで堪能したことを前回ブログで書いた。ラヴィ・シャンカルは時間をかけ、ステージ上でさまざまな要素から、その日に演奏するためにもっともふさわしい旋律をさぐっていく。そしてそれを基にして、スリリングなインプロヴィゼーションに満ちた演奏を展開する。コンサートそのものが即興的だった。

 

吉福さんのワークショップも事前の打ち合わせやプログラムがあるわけではなく、その場で作り上げられていく。ぼくはラヴィ・シャンカルが演奏する古くて新しいインプロヴィゼーション音楽と、この吉福さんのワークショップに同じ香りを感じていた。

 

吉福ワークの自由さは刺激的

吉福さんのワークショップは通称「吉福ワーク」と呼ばれている。ワークは2泊3日でゆったりとした時間の流れのなかで進められていく。始まりは全員で大きな輪になり車座になって坐る。このほうがお互いの姿がよく見えていい。始め方はその時々さまざまだが、自己紹介一つにしても他とは趣が違っている。

 

まず最後まで終わったためしがない。最初の人の話がどんなに長くてもそれを止めないし、吉福さんも気になることがあればその人にいろいろ質問をする。他の人にも意見を求めるので自己紹介が2時間経って数人だけということもざらだ。吉福さんは「この場は外とは真逆のことをやると思ってくれればいい」と話していたことがある。

 

こうあらねばならないと思っている考えや暗黙の了解を崩していく。キマリがない自由さはとても刺激的だ。こうした雰囲気のなかで、だんだん開放的な自分に変わり始めていく。と同時に刺激を受けていると、心の奥にしまっていた感情も浮き上がってくる。少しずついつもの自分のままではいられない気配になっていく。

 

背景をつかむ

吉福さんはこうした参加者の変化をほんとうによく観察している。観察といっても冷さはまったく感じない。まるで子どもの好奇心に満ちた視線のようだった。参加者の身体の動きや表情、話し声、言葉遣いなどのちょっとした違いをけっして見逃さない。そして参加者たちから醸し出されている全体的な気配も、極めて繊細にキャッチしている。吉福さんはその場から何かをつかみとり、次のワークに反映させていく。これが参加者全員を巻き込むような絶妙なワークになる。

何でここでこのワークに入っていくのか、ぼくには分からないときがあった。それを吉福さんに尋ねると「自分を虚しくしていると自ずと見えてくるんだよ」という。

 

自分を虚しくすること

吉福さんはトランスパーソナル心理学を日本に紹介した立役者とされているが、本人はそれにこだわらず、ゲシュタルト療法、ソマティック・ボディワーク、精神分析療法、認知行動心理学などをたくみに取り入れていた。そこに東洋的、西洋的な修行体系から得た知見もふくめて工夫してあみだされたものが、かれ独特のワークとなっている。

 

吉福ワークにはこうした理論や概念があるのだが、吉福さんは、じっさいのワークではそれらは背景として後ろの方へ置き、目の前にいる人の動きや情動の細部にちゃんと目を向けなさいという。かれのいう「自分を虚しくすること」というのは、その場に生成されている流れに身をまかせ、自分を含めそれぞれの人に起こっているプロセスを信頼すること、 理論や概念と通した目で人を見ない、ということだったと思う。

 

再びインプロヴィゼーション

ニューデリーで見たラヴィ・シャンカルが演奏する北インドの伝統音楽には膨大でとても精緻な音楽理論がある。しかしじっさいの演奏でもっとも大切なのは「直観」だという。インプロヴィゼーションというのは、こうした確かなものを背景としたうえで、直観によってその場で自由に生み出される、みずみずしいアートなのだと思う。

 

吉福ワークでも、プロセスのうねるような流れのなかにいるとおのずと必要なことが起こっていく。そこには参加者もセラピストもない。変容が起こる場が生成されているだけだ。ぼくは吉福ワークもまた、直観的なインプロビゼーションのアートだと思っている。

 

アウェアネスアート®研究所主宰  新海正彦