スーフィズム~最新のイスラーム研究でひも解く
歴史の転換点を目撃して
そもそもなんでぼくがこんなことを書いているかというと、
ぼくは1978年~1979年、イランでパーレビ王朝の崩壊、またアフガニスタン北のバルフでは、ソ連によるアフガン侵攻を目の当たりにしました。
ちなみにこのバルフという街は、ザラスシュトラがゾロアスター教を発展させた街であり、神秘詩で有名なルーミーの生家があった土地です。
そんな旅行中の体験から、イスラームの史実と精神文化のつながりについて関心を深めるようになったのです。
最新のイスラーム研究からわかったこと
さて、スーフィーといえばトルコの旋回舞踏が有名ですが、その成り立ちは謎に包まれています。歴史学者たちによると、スーフィズムは口伝のため文献がとても少ない。なのでスーフィズムは古代エジプトから連綿と受け継がれた秘密の教えであるとか、錬金術的な秘儀であるとかさまざまな神秘化されている話題はあります。
そうした中でも最新のイスラーム研究ではさまざまな文化に残る資料から確かなそうな史実を編纂することで、史実としてかなりわかってきたところがあるようです。
実際、16~17世紀には北インド一帯にスーフィーの教えは広がっていたし、時の政権を支え、各地に神秘主義教団の修行場があったほどなのです。
ここに書いた記事は、中東やインドに広がったイスラーム神秘主義に、なぜギリシャの新プラトン主義などの哲学が入っていったのかなどをざっと俯瞰したものです。東方から中東の歴史の話ですから、けっこうマニアックな話題です。
※この文章を元に「スターピープル」という雑誌の「グルジェフの客観芸術とは何か?」という特集号にぼくの記事が掲載されています(2015年2月15日発売号)
グノーシス主義~ゾロアスター教の影響
スーフィーの登場の前段階から歴史が始まります。まずはキリスト教についてです。
隆興期にそれは大きくカトリック教会とグノーシス主義諸派に分かれていました。このうちグノーシス派は2〜4世紀当時、カトリックと勢力を二分するほどの勢力を誇っており、「われわれは光の世界から転落した異邦人であり、故郷を思い出して酩酊状態から覚醒する」という考えを有していました。
参考ながらこのグノーシス諸派の代表的一派であるマニ教はゾロアスター教の影響などを受けた独特な教義を持っていました。
ゾロアスター教というは、紀元前6世紀にはすでに存在していたとされる古代ペルシャ発祥の宗教です。
3〜7世紀にイランの地でゾロアスター教ササーン朝が栄え、ペルシャ商人の交易とともに中央アジア・中国あたりまで拡がるなど、一時は隆盛を極め、上記のようにキリスト教にも影響を与えていました。
イスラームの誕生~アラビア語大翻訳時代
しかし紀元610年、メッカ郊外でムハンマドが啓示を受け、新たにイスラームが誕生するとゾロアスター教は衰退し、替わってイスラームが中国にまで及ぶ強大な覇権を急速に確立します。
そして紀元750年から500年間も続くイスラーム全盛期・アッバース王朝時代には、イスラームの学術水準がまさに世界をリードし、さまざまな精神文化を発展させるまでとなっていました。この時代に起きたのが前記の「イスラームの大翻訳運動時代」です。
この時代、ギリシャ語・シリア語・中世ペルシャ語などで書かれた古代オリエントの文献がアラビア語に翻訳され、それにより占星術・哲学(プラトン主義など)・秘教・天文学・医学といったあまたの知識が古代オリエントからイスラーム世界へ移されました。
スーフィズムの発祥と教義
そしてこの知識の流入がイスラームに変革をもたらします。
これら外の知識をイスラームの教えの中に取り込んだ諸派を誕生させることになったのです。
その一つがスーフィーでありイスマイール派という系譜でした。
このうちイスマイール派とはおもにイスラームの知識人に拡がったもので、
キリスト教のグノーシス主義神話に新プラトン主義哲学を融合することで教義を強化したものです。
新プラトン主義とは「人間の魂の故郷はイデア界にあり、魂を解放してイデア界に還ることを目標とする」という哲学で、後の西欧でオカルティズムや神秘主義につながっていきます。
スーフィーについては諸説ありますが、イラク〜中央アジアで9世紀後半に始まったといわれています。初期は神秘的直感を大切にする教義でしたが、その後、神秘的直感が理論的に裏付けられイスラーム神秘主義へと変貌します。
このスーフィーで最大の思想家とされるイブン・アラビー(1165〜1240)は神秘主義的な「存在一性論派」を創始。またヤフヤー・ソフラワルディは「照明学派」といわれる神秘哲学的なスーフィズムを志向。
修行によって得られる合一体験をプラトン主義で理論化し、それをゾロアスター教の象徴で表現するという神秘哲学を創始しました。
その他、神秘主義の修行はウマル・スフラワルディによって組織化され神秘主義教団(タリーカ)となり、12世紀後半にはスフワルディー教団やクブラウィー教団などが成立します。後のトルコで創設された有名なルーミーのメヴレヴィー教団はこのクブラウィー教団の一派です。
「イスラーム大翻訳運動時代」はこのように、幾多の知と宗教がダイナミックに混じり合う、まさにきら星のごとき時代でした。
モンゴル帝国の支配とスーフィーの繁栄
残念ながらイスラームで誕生したこれらの知の体系は、そのほとんどがモンゴル帝国によって滅ぼされます。
13〜15世紀、イスラームの様々な文化を牽引したバグダードと中央アジアの諸都市が壊滅させられ、イスラームの知識人やカリフたちが次々と処刑されてしまったのです。
ただスーフィーだけは、モンゴル伝統のシャーマニズムの形態に似ていて親近感があったせいか、モンゴル人に受け入れられ隆盛します。
このためモンゴル時代にスーフィー教団は巨大化し、国を支えるほどの影響力を持つに至ります。結果、イランではサファヴィー教団、インドではナクシュバンディー教団やカーデリー教団などが権威を持ち、各地に神秘主義教団の修行場が造られました。
タージ・マハルが建設されたのがその時代であることを考えると、何らかの神秘主義の影響を受けたかもしれません。
●スーフィーの衰退
しかし19世紀に入るとインドがイギリス領となりスーフィーの歴史も近代化の波に飲み込まれていきます。この時代が近代化の波にスーフィズムが飲み込まれて消えていく時代の転換点だったようです。
とはいえ、現代でもインドで行われているお祭りにはスーフィーのお祭りもありますし、スーフィズムはいまでもアフリカからインドネシアまで各所に広範囲に残っています。
ということで、今回はスーフィズムの歴史の舞台への登場と盛衰を駆け足で見てきましが、何かの参考にしていただければ。
アウェアネスアート研究所 主宰 新海正彦