吉福伸逸研究Ⅲ

吉福伸逸見さんの最活動期の10年

カリフォルニアの精神文化を導入

 吉福さんはジャズミュージシャンとして渡米し、その後アメリカ西海岸で盛んだった

カウンターカルチャーを体験して、1974年、10年ぶりに帰国することになります。

 

帰国しておどろいたのは、自分が自己変容を体験したようなアメリカの精神文化が

日本にはまったくはいってきていないという事実でした。

 

このためカウンターカルチャー、ニューサイエンス、ニューエイジなどなど、

丸ごと導入して根づかせる必要性を感じました。

 

そうした文化に触れていない日本には、

まず元になる文化、概念や考え、学問がどのようなものかを伝える必要がある。

そこから自分たちに必要なものをそれぞれが取捨選択していけばいい。

 

 

●翻訳とワークショップの開始

この考えをもとに、カウンターカルチャーの各分野の主著を翻訳し始めました。

その最初の翻訳が「Be Here Now(今ここに)」です。

 

丸ごと導入といっても、とても一人では間に合う量ではありません。

そこで吉福さんはそれぞれの分野で英語に堪能な専門家や、

帰国子女たちに声をかけ翻訳チームをつくりました。

 

そのときに携わった多くの方々は、現在、心理学療法、精神的世界、

ボディワーク、ヨーガなど、各分野の第一人者として活躍しています。

 

吉福さん自身は自分の足場をトランスパーソナル心理学に置くことにし、

翻訳、対談、著作の活動を始めました。

体験的なワークショップも頻繁に開催しています。

 

しばらくしてから、吉福さんはとくに統合失調症といわれる人たちが

極力、投薬しないで生活するためのケアをする団体づくりに力を入れはじめました。

 

 

●ハワイに移住~そして再び日本へ

これだけの動きをすると、どうしてもカリスマ的な立場になってしまいます。

またカリスマ的な存在感を吉福さんが持ち合わせていたのも事実です。

 

かれはこうした事態を極端に嫌っていましたが、

思うようにはなりませんでした。

 

これは彼が望まない状況でした。葛藤のすえ、

仕事は後任に引継ぐなどして、1990年、ハワイに移住することを決断しました。

 

ハワイに移住してからの吉福さんは

基本的に今までの仕事とは距離を置き、

子育てや、自宅の庭を開墾して畑仕事をしたり、

地元のサーフィン文化を通してネイティブの人たちの

生活文化の向上に努めたりしていました。

 

そうしたハワイでの隠遁生活が続いていたとき、

2001年の911同時多発テロが起こります。

 

吉福さんは、この出来事はアメリカ一国の出来事ではなく、

世界規模で変化が起こり、日本もその影響を受けざるをえない、

と考えたようです。

 

同時多発テロをきっかけに、

吉福さんは再び日本で活動をする方向に舵をとりはじめます。

 

 

アウェアネスアート®研究所 主宰 新海正彦